五輪に思う 「仕事」 と 「遊び」 の関係


今日の朝刊の一面見出しに目が止まりました。
 『争わない 自由に 自然に 13歳』
五輪で「13歳の女子選手がスケートボードで金メダル」の報です。

記事はこんなふうに始まります。
『 “争う“ 空気がない。「(競技中)何聴いてるの?」「ラスカルの曲を聴いてるよ」「それって、どんな歌?」』
五輪の競技でありながら、このスポーツは、選手同士で成功したら喜び合い、失敗したら一緒に悔しがるそうで、指導者も特になく、師弟や上下の関係もないそうです。
国を背負って、心身を削りながら競い合う「競技」に慣れている私としては、正直なところ「?」が先に立ちましたが、これはもしかするとスポーツの原点であり、そこをたどれば「遊び」の基本に繋がるのではないか、と思い直したのでした。

日本学術会議前会長の山極寿一氏は、『スポーツの本来の意味は「気分転換」であり、それが貴族たちの野外の余暇活動となり、身体を酷使する競技となったのは、19世紀以降である』と記しています(2021/7/26朝日新聞)。そう、国と国がスポーツを介して戦っているのは、わずか200年ほどのことに過ぎません。

もともと、複数人で身体を同調させる楽しさを追求するのが余暇活動です。『相手に勝つことが目標ではなく、互いに立場を交代しながら競い合い、そのプロセスを楽しみ、勝ち負けに拘らず健闘をたたえ合う。(同)』それが本来のスポーツではないか、と述べています。

ちょっと飛躍しますが、食糧を得るための活動が「仕事」だとすれば、その気分転換に「遊び」があるわけで、国も戦争もない時代(縄文時代)には、こんなふうな形で、仕事と遊びが表裏一体で展開されていたのではないかと思います。「遊び」が「スポーツ」に変わるのは、種族と種族、国と国の争いが始まったことが背景にあるのではないでしょうか。
そういう意味で、冒頭に書いたような光景は、近代オリンピックが本当の意味で「平和の祭典」に、少しずつ近づいているのではないかと思うのです。

にほんブログ村 介護ブログ 福祉・介護用品へ にほんブログ村 ベンチャーブログ シニア起業家へ にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
*にほんブログ村に参加してます。クリック頂くと励みになります!
This entry was posted in 60歳からのアソビジネス. Bookmark the permalink.