評論家の田坂広志氏は、未来を予測するときに用いる普遍的法則について、その著述でいくつか指摘されています。その中の一つに、“対立するものは似てくる“、という法則があります。
その例として、近いところでは、スマホの写真性能は高くなり、カメラは通信機能を持つなどスマホに近づきつつあります。また、遊びから入ったマッキントッシュと、ビジネスから入ったウインドウズは、その特徴を埋めるように近づきあってきました。大きいところでは、資本主義と共産主義は相入れず、大きな戦争をしてきましたが、資本主義は社会福祉に力を入れ、共産主義は利益を出すことを認めるなど、揺り戻しを繰り返しつつも、両者は少しずつ近づき始めているようです。
そう考えると、日本史の世界では一線をひかれる縄文時代と弥生時代も、狩猟採集社会と農耕社会という対立点はあるものの、全体的に近づいていって、長い時間をかけて日本人の骨格を作ってきたのだと思われます。
日本の高度成長期に、「仕事か家庭か」とか「仕事か趣味か」という議論がありました。しかし、最近ではそんな言葉はほとんど聞かれなくなってきています。それは、それらが近づいてきているから、と言えるのではないでしょうか。
「仕事、家庭、趣味」は、もともと人間が行う営みであり、古代にまで遡ると、もともとが対立するようなものではなかったと思います。「アソビジネス」について、考え方のベースは、そこのところにあります。