「もっともっと」を捨てればなんとかなる


縄文人がどのように働いていたかは、文字のない時代であるため、今でも明確には分かりません。
ただ、分かっているのは、決められた時間に、決められた場所で、決められた指示者のもとで、毎日のように働いていたわけではない、ということです。
「もっともっと」という考え方はこの時代にはありませんから、食べ物に困っていなければ身の回りのことをするか休み、食べ物がなくなれば採りに(獲りに)行くことになります。

これは、別コラム「縄文コンセプトのすすめ」にも取り上げましたが、狩猟採集民族であるアフリカのコイサン族(ブッシュマン)の暮らしを、環境歴史学者の石弘之氏が調べています。
 ・食べ物を手に入れるために必要な労働量は、平均して週に2日半程度。
 ・労働量は1年中ほぼ一定で、食料調達のために1日10キロ以上歩き回ることはまずない。
 ・女性は毎日1〜3時間働き、残りの時間は余暇を楽しんで暮らしている。
 ・男も1週間狩りをすれば、2〜3週間は何もせずに過ごす。
 ・グループの人口の約4割は、食料調達のための仕事を全くしていない。
 ・彼らの栄養状態は、私たちの食事と比べてなんら遜色がない。
 ・カロリー摂取量は必要レベルを上回っているし、蛋白質摂取量は必要量より約3割多い。
                    『火山噴火・動物虐殺・人口爆発』(洋泉社歴史新書)

土偶を作ったり、凝った土器を作ったりする余裕は、こういう中で生まれてくるのだと思います。
考えてみると、周囲を海に囲まれた南洋の人々が、「貧しい」と言われながらも、太っているし、なんとなく平和そうな顔をしているのをテレビで見ることがないでしょうか。食糧を、周囲から確保できる安心感がある中で、「勤勉」「勤労」といった価値観は生じてこないように思うのです。

一日8〜12時間はどう考えても働きすぎです。「もっともっと」の考え方がスパッとなくなれば、そこまでの時間は必要になりません。
できれば一人ひとりが得意なことを、できる範囲で協力しあって、その過程で暮らしに必要な食糧なり金銭なりを得て、末長く楽しみながら安心して暮らしていける、そんなシステムが現代でできないものでしょうか。科学やネットという現代の武器を使えば、なんとかできるように思うのです。
定年後で時間の豊富な私たちが、私たちのためにも、そして後世の人のためにも、さらにいうと持続化可能な社会のためにも、そのようなシステムを残していけないかと思うのです。

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