高度成長期にいろんな勇ましい言葉が生まれました。
・企業戦士
・24時間戦えますか
・モーレツサラリーマン…
その裏返しのような言葉も…
・5時から男
・サザエさん症候群
・過労死…
戦後の日本人は、自分を鼓舞しつつ、そして萎れつつ、その向こうにあるであろう太陽を求めて、忙しい日々を乗り越えてきたのでしょう。
そして現在、コロナの大波を受けて、日本人はこんなことに気づき始めています。
・何も、毎日のように、人と同じ時間に、同じ場所に行って仕事をする必要はない
・バケーションと仕事は、とくに境目がはっきりしていなくてもいい
・必要に応じて働くことができれば、曜日も時間もあまり関係がない
これは、考えてみると縄文時代の“働き方“に似ています(この時代に「働く」という概念があるかは疑問ですが)。※次稿参照
田坂広志氏の説では、人間はネジ山のように、過去と現在を行きつ戻りつしながら、少しずつ進化していくそうです。例えば、メルカリがネットを使って、人々が直接中古品の売買をするように…。
ネットという武器を使い、120世紀も続いた縄文時代の働き方に私たちが戻っても、なんら不思議はありません。
我が家の犬を見ていると、遊びと食べることと休むことに境目はないようです。人間だって自然の中では同じ生き物のひとつなのです。ネットなどの多少の資産はありますが。
あまり無理をしないで、働きたいときは働き、休みたいときは休み、遊びたいときには遊ぶ… そんな暮らしができるならしたいものだ、と私は思います。
今の社会システムの中で、急にそれに抵抗することは難しいかもしれません。でも「定年後」なら、その可能性は十分にあります。それが確立できたら、若い世代の働き方だって変えることができるでしょう。「アソビジネス」にとって今は追い風です。