縄文時代のゴミ捨て場というと、「貝塚」を思い浮かべます。
しかし、私も最近になって知ったのですが、貝塚からは貝殻や魚、鳥類の骨などだけでなく、土器や土偶、装飾品、祭祀具、そして人骨まで出てくるそうです。
どうやら、「貝塚」は現代人で言うところの「ゴミ捨て場」とは違う意味合いがあるようです。
その理由は明確にはわからないそうですが、「感謝」や「再生」を願う気持ちや祈りをそこに求めた、と説明される場合が多いようです。
私がこの事実から考えるのは、もしかすると、縄文時代には「捨てる」という考え方がない、いや「捨てる」ものがなかったのではないか、ということです。
今でも、沖縄では「豚は啼き声以外はすべて食べる」といったり、漁村では「魚は捨てるところがないほど食べ尽くす」などということがあります。本当の意味で捨てるものなど、近代まではそれほど無かったのではないでしょうか。
「核のゴミ」や「宇宙ゴミ」などという、どうしようもない大きなゴミまで抱えている現代にあって、身の回りの“ゴミ“と言えるものをできるだけ少なくしていくことの必要性を、120世紀続いた縄文時代から学ばされます。