時代の尺度


8月15日は終戦の日。朝日新聞で考えさせられることがありました。それは、内容というよりも“紙面構成“です。

1〜3面は、日ソのスパイ戦についての証言と豪雨、4面はコロナに関する記事。そして、5面は、全面を使って気候危機についてIPCCの報告書を解説しています。
「過去」と「現在」、そして「未来」。新聞は『過去に学び、現在を知り、未来を予測する』、そんな媒体であることを象徴するような紙面構成です。

しかし、「過去」と「未来」では、その尺度が変わってきます。「過去」については、昭和の戦争から、6500年前の縄文時代、さらに200万年前の旧石器時代まで遡っています。それに対して、「未来」は30年後が中心で数千年後について少し。温暖化についての記事が多い現在ですが、「未来」を新聞で語るときには、だいたい10から30年後がほとんどを占めます。

「未来」を語りすぎると荒唐無稽でSFの世界に入ってしまう。200万年後に人類がどうなっているかは語るに難しいし、非現実的で興味をひきにくいでしょう。
ただ、気候変動だけは、かなり正確にわかってきつつあるようです。そのなかで人類がどのように暮らしているのか、暮らせているのか、という、ある意味「不都合な真実」には、どうしても目を背けてしまいがちです。
大きく気候変動が進んだ地球上で、人類が生存し続けられるのかに向き合うことが、より私たちが現在と真剣に向き合うことに繋がるのではないかと思います。

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