異邦人の受け入れ…イザベラ・バードの旅行記から


瀬川拓郎氏(『アイヌと縄文』ちくま書房)によると、日本人と同じ縄文人を祖先に持つアイヌ人は、狩猟を選ぶことによって、農作を中心とする弥生文化を受け入れた日本人と袂を分かったとのこと。

イザベラ・バード氏(絵)の『日本奥地紀行』は、明治11年に東京から東北、蝦夷へと渡った西洋人女性の旅日記です。この記録を読むと、色々な気づきがあり、これを研究対象にしている学者の分析も多くあります。
ここで私が一つ、読んでいて意外に感じたことは、日本人とアイヌ人の、西洋人女性を見たときの反応の大きな違いです。

旅の前半、東北地方に行くと、西洋人女性を見ようと大勢の人たちが群がったといいます。どこの村でも同じで、障子の穴からたくさんの目が覗いていてうんざりした、というような記述がいくつもあります。
ところが、蝦夷に渡りアイヌ人の集落を訪れると、まったくそのようなことがなく、自然に、そして丁寧に彼女を受け入れます。それはどの集落でも、そして子供でも同じだというのです。

その正確な理由が分かれば知りたいところですが、私が考えるのは、日本は大陸の端っこにあって、流れ着いた異邦人を受け入れることが、何千年も昔では日常だったことの表れではないか、ということです。
異邦人と争うことなく和合し、分かち合うことを縄文人は習慣として持っていたのではないかと思います。
そして、現代の日本人にも、その習慣の根っこが、どこかに残っているのではないかと考えてしまいます。混沌とする世界の中で、そうしたルーツを持つ日本人が、その救世主になることを願います。

にほんブログ村 介護ブログ 福祉・介護用品へ にほんブログ村 ベンチャーブログ シニア起業家へ にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
*にほんブログ村に参加してます。クリック頂くと励みになります!
This entry was posted in 縄文コンセプトのすすめ. Bookmark the permalink.