SDGsと縄文時代 その6(格差の概念がない)


野に山に海に川に…豊かな自然の幸に恵まれた縄文時代、おなかが減ったら周辺にあるものを採り(獲り)に行くことになります。

多摩川に鮭が遡上したというほどですから、気候災害に見舞われることがなければ、食料の確保はそれほど大変なことではなかったのではないでしょうか。だとすると、蓄えておく必要がないのです。ドングリなど、木の実の蓄えなどは一部あったようですが、基本的になくなったらとりに行くという生活をしていたと思われます。

食料を蓄えなくていいなら、いろんな良いことがあります。
 ・減っていく心配をしなくて良い
 ・増やす努力をしなくて良い
 ・分ける苦労をしなくて良い
 ・奪われる恐れを持たなくて良い
 ・盗もうという悪い気がおこらない

「食料」を「お金」に置き換えると、なにか現代人の労苦の種が、すべてそこにあるように思われます。

社会問題になっている「格差」ですが、縄文時代には格差という概念自体がなかったのではないかと思うのです。そうでないと、1万年以上もその時代が続くとは思えません。
豊かな自然を守ること、その環境を維持すること…は当然しなくてはならないことでしょうが、「蓄えすぎない=減らしていく」ことも考えていかないといけないと思うのです。

This entry was posted in 縄文コンセプトのすすめ. Bookmark the permalink.